過去に経験した辛い思い出が今でもたまに胸を締め付ける。
過去は変えられない。
だからきっとこれからも私に苦しみを与え続けるだろう。
そう思ってる。
人は深く傷ついた過去を忘れない。
普段の生活が忙しくて忘れたような気になっても、突然フラッシュバックして思い出す。
それで何度も眠れない夜を過ごしてきた。
ただ、「忘れない」っていうのはきっと意味があるのだと思う。
もしかしたら忘れてはいけない事なのかもしれない。
でも変えられない。
どうすればいい?
もしあなたが忘れられない過去に悩まされているのなら、伝えたい事がある。
無理に忘れようとしなくていい。
変えられない過去ならいっその事忘れてしまおうと思う。
ところが一時的に忘れる事は出来てもまたどこかで思い出す。
私には失敗した過去がある。
恥ずかしい過去も、誰かを傷つけてしまった過去もある。
変えたい過去がパレードしてる。
自分の中でそれを消化出来ないまま大人になってしまった。
そういった過去を思い出す度に忘れようとする。
眠れない夜は考えるのをやめて無理やり寝ようとする。
次の日が無条件でやってくるからね。
グルグルと回り続ける後悔。
その中でもう一度、あの時と同じように恥ずかしい思いをしたり、傷ついたりする。
過去の事なのにいつまでも忘れられずに、たまに追い込まれる。
じゃあもうわかった。
忘れなくていいのだ。
どうせ無理に忘れようとしても急に思い出すタイミングがやってくる。
逃れようにも逃れられないわけだ。
それなら逃げない。
忘れない。
過去に起きた事は変えられないんだから忘れられなくて当然だ。
むしろそれが自然。
でも過去の良い事は忘れてんだよなー。
嫌な思い出ばかりが蘇るのはどうしてなんだろうか。
きっと意味があるのだ。
過去に起きた良い事は忘れてる。
たまに覚えてる事もあるけど、忘れてる事がほとんどだ。
良い事は思い出そうとしても出来ない。
昨日の晩ご飯くらい思い出せない。
「良かった過去」に対してはすっかり忘れるくせに、「そうじゃない過去」は忘れない。
両方とも変えられない過去なのは変わらないのに。
たぶん意味があるんだと思う。
変えられないのに忘れる事も出来ない過去にはきっと何か意味がある。
私はそう思っている。
そうじゃなきゃ「良かった過去」だけを忘れてしまう意味がわからない。
「良かった」ってのは「結果的に」って話。
だから完結してる。
でも傷ついたり、傷つけられたり、恥ずかしかったり、大きな失敗をした過去は完結しているようで完結していないんだと思っている。
納得がいかないまま時間だけが過ぎてると言うか…。
後になって「もっとこうしておけば…」と思ったりとか…。
まだどこかで後悔や未練や不満が残ってる。
それで忘れられない。
たまに思い出してみてもまだ「あの時こうしていれば…」とか「どうしてこんな事に…」と考えてしまう。
変えられないのにな!
だから忘れられない意味は必ずある。
でも、今はどうしようも出来ないのだよ。
それが辛い。
考える事しか出来ない。
自分の事なのにな。
未来に活かすしかない。
忘れられず、変えられない過去を今でも思い出すのは何か意味があるからだ。
そしてまだ完結していない問題がある。
今はね。
「じゃあこの先その過去を変えられるのか?」
って思うけど、起こった事は変えようがない。
だからと言って忘れる事も出来ない。
それなら活かすしか道が無さそうなのです。
捨て方がわからないゴミみたいなもんだ。
リサイクルするしかない。
忘れられない過去の経験を教訓にしなくちゃいけない。
後悔や未練や不安や多くの傷を「次はそうならないように」修正していかなきゃならない。
それを繰り返していく内に、いつか、「あんな過去があったから」ってポジティブに考えられたら、やっと完結するのかもしれない。
ロードオブザリングも完結するまでずっと追っかけてたな。
今はもう良い思い出になってる。
そしたら過去の色々も忘れられるかもしれない。
今はまだまだ過去を思い出して、イライラしたり、傷ついたり、辛い気持ちになったりするけど、そこに「意味がある」って考えて、それをなんとなくでも理解出来るなら過去の事実は変わらなくても、捉え方は変えられるかもしれない。
どんなに息を止めたって時間は進むんだから。
それなら私自身も進むしかない。
てか、勝手に進む。
その先に「あって良かった過去」に変わるきっかけがあるなら、徐々に忘れていくのかな。
今は全く想像出来ないけどな!
受け入れる準備を。
よく考えてみると、忘れたい過去も、変えたい過去も、毛嫌いしてきた。
問答無用で拒否してた。
「仕方ない」とか「自分は悪くない」とか。
ちゃんと受け入れられてなかったような気がする。
「起こった事は変えられない」もんだから忘れようと必死だったような気がする。
気を紛らわすのに精一杯な毎日だ。
そんな事をしても結局過去が変わるわけじゃないのはわかってる。
あの時の傷は癒えてないよ。
誰かを傷つけた後悔も残ってる。
失敗した恥ずかしさも笑われたイラつきも残ってる。
ただ、忘れられない意味があるなら、一旦受け入れてやろうかと思ってる。
全部を自分や時代のせいには出来ないけど、どんなに考えても今の方が大事で、結果的に「過去があったからこその今」なのは間違いない。
過去に囚われながらも今を生きてきたんだから、これから先もそれが出来ないわけじゃない。
やるしかねーだろ。
忘れたいなら、食べ物のように食っちまった方が消化されそうな気もする。
過去に囚われ過ぎると視野が狭くなるじゃない?
改めて冷静になると、それが起きた過去は「全宇宙の地球の日本のほんの一部にいる私」しか持ってない過去の嫌な出来事だ。
もちろんそれで後悔や未練や悶々とした気持ちが小さくなるわけじゃないけど、基本的な考え方は自由なんだから、「食べて消化しちまおう」と思ってもいいわけで…。
もう散々考えたよ。
もう散々傷ついたよ。
もう散々後悔したよ。
もう散々イラついたよ。
だからやっと意味があるって思えたんだよ。
それならいっそ食べてみようと思うのだ。
あの頃は「絶対に不味いから!」と拒否してた苦味がある食べ物も、ちょっと大人になったらいけたりする。
抹茶味とか。
ワサビにカラシにトウガラシも。
いつも欲しがるマヨラーみたいにはならないが、食べられる。
そんな感じ。
もっと大人になったら美味しいかもしれない。
可能性はある。
未来の事だし。
だから受け入れる準備をしよう。
変えられない過去を、今、あえてちょっと食ってみる。
不味いなら「ぺ!」ってすればいいや。
「まだ不味い!」って言って次の機会まで待つ。
過去は変えられなくても過去の考え方は変えられる。
多くの人が言う「過去は変えられない」ってのは時間軸の話でしょ?
タイムマシーンがなきゃ話にならないやつね。
でも私はそうは思わない。
考え方なら変えられる。
ちょっと味見してみりゃわかる。
受け入れられそうか、そうじゃないか。
もし少しだけ「いけるかも?」って思った過去は「あって良かったのかも」と思い始めてる証拠。
私にはまだまだそう思えない過去がいっぱいある。
いつ口に放り込んでも不味い過去がいっぱい。
でも、もし今ロンドンやパリやニューヨークで生活を築いていたら、「意外とイケる過去」もあったりするかもしれない。
現実的にはなかなか想像出来ないんだけど、考え方を変えるってそういう事なんだと思う。
実際に今すぐ引っ越すのはリアルじゃないんだけど、結果的に海外に移住してる未来だってあり得るわけで…。
今は想像出来ないし、難しそうだけど、徐々に準備をしていけば気が付きゃ言葉もペラペラで現地に誰よりも馴染んでいる未来もある。
どっかの偉人は「いきなり世界を一変させる価値」を問うが、そんなもの「お前だから出来んだよ!」って話です。
いきなり「世界を旅しろ!」って言われても無理だ。
その通りだよ。
私には出来ない。
だけど徐々になら変えられる。
考え方を変えるのも急がなくていいんだと思う。
今はまだ後悔も未練も不満もたっぷりな過去が「源泉かよ!」と言いたくなるほど湧いてるけど、認めて、受け入れて、味見してみて、徐々に慣らすしかない。
たまに思い出してしまうタイミングこそ味見時だ。
思い切って食べてみる。
そういえば初めてお酒を飲み過ぎた日はずいぶん長い間気持ち悪かったなぁ。
二日酔い?
吐きながら「2度と酒なんか…」って思ったけど、今じゃ毎晩飲んでるわ。
一度はあんなに嫌ってた酒が友達以上に恋しくなる瞬間がある。
考え方って変わるもんなんだと思うけどな。
私には「突然変わる」なんて一夜革命みたいな事が出来ないから、ゆっくり過去の考え方を変えていくしかないんだよ。
どうか感想をください。