最初に言っておきたい。
これからここに残す事を信用してほしいわけじゃないです。
でも最後まで読んでください。
「誰かを信用出来るようになる方法」とかそんなつまらない文章は残さないから。
そもそも信用なんて金貸しが重要視しそうな怪しい約束事みたいなもんだろ。
言い過ぎか。
とにかく、信用とか信頼なんて「そうしよう!」と思って突然作られるものじゃないだろ。
こんな世知辛い世の中で「信用!信用!」とか言ってたら信用教の信者かと疑われそうだ。
「誰も信用できねー!」って口に出せばめんどくさくなる人間関係もあるからわざわざ言う必要はないけど、心の中で思ってる分には問題無いと私は思ってる。
むしろ誰かを信じて何になる?
宝くじでも当たるのか?
不治の病が治るのか?
初恋が実るのか?
どいつもこいつも「自分に都合が良けりゃ」信用に値するんよ。
「思い通りになりゃ」信用に値するんよ。
本人の都合次第で「信じる信じない」は決まるんだよ。
そんな中で逆に「誰も信用できない」って貫いてるのは凄いと思うけど。
極端な話、「何でも自分でやる!」って事でしょ?
ポジティブじゃん。
今回は「誰も信用できない」にどれだけのメリットがあるか教えてやる。
別に信用してほしくて言ってるわけじゃない。
誰かの為じゃなく、自分の為にそうするんだよ。
私は誰も信用しません。
先に私がどれだけ誰も信用しないかを伝えたい。
簡単に説明すると、自分にとって都合の悪い事は信じないだけ。
すごく自分勝手と言うか、「そうなりたい」と思っている。
理由は、これまで多くの人を信用して、期待に応えてきたつもりだけど、期待以上の見返りがあった試しがないから。
誰かに期待するといつも「残念でした」って結果ばかり。
散々信用して、期待して、誰かに依存してきて、やっと気が付いたんです。
自分以外は「信用できない」って。
で、結局自分が最も満足できる結果を得るには、「自分で頑張るしかない」って思うようになった。
まだまだその結果は先になりそうだけど、信用しない事で誰かに期待してしまう瞬間も無いし、自分の考えや行動からしか得られるものが無い。
そのおかげで自分が「すごくちっぽけ」だと思い知らされる。
良い意味で「身の程を知る」感じ。
誰かを信用するってのは、誰かに依存する事だと思っている私は、いつも誰かの期待に応えて、その見返りに期待してた。
でも期待以上の結果なんて返ってこない。
そんな事を繰り返してたら誰も信用出来なくなった。
そして誰かに期待するのもやめた。
そしたら変に誰かに気を使う必要もなくなったし、自分次第で物事が進んでいく感覚を得た。
一人じゃまだ何もできないから「もっと頑張らなくちゃ」って思った。
感じ方は人によるんだろうけど、それは私にとって心地の良いもので、人間関係のストレスが減った。
それって、間違いなくポジティブだろ。
誰も信用できないってのは、誰かに期待しない証拠で、想像通りの結果を得る為にはシンプルに自分で頑張らなきゃならない。
それが自立に繋がって、結婚して、家族が出来た。
そしてそれなりに幸せを感じている。
これはポジティブだろ。
決してネガティブではない。
だって私は幸せを感じてるんだし。
誰かに依存したり迷惑をかけてるわけでもないんだから。
信用し過ぎたら成り立たない商売
例えば誰かに「お金を貸してくれ」と言われた時、誰も信用していない私は貸さない。
「返ってこない可能性」がある限り貸さない。
そこで必要となるのが「信用」だ。
銀行がやってるカードローンは少し前の消費者金融と同じような利子が付くから大きな信用がなくてもバンバン貸してくれる。
一度に貸してくれる金額も少なめだし。
ところが投資レベルの金額だとそれなりの信用が必要になる。
住宅ローンは「今後返せるかどうか」を審査する為に様々なものが必要になる。
仕事や給料の証明や明細。
貯金額。
過去に支払いの滞納がないか。
などなど。
それでも信用できないなら連帯保証人が必要になったりもする。
それだけやって、結局借りれなかったりもする。
金貸しは商売だ。
貸したお金の利子で儲けを出す仕事なんよ。
だから貸したい。
でも信用出来ない奴には貸さない。
信用して貸したとしても返ってこなくなる事だってある。
金がなきゃ返したくても返せない。
金貸しからしてみれば貸したくて貸したのに裏切られたような感じなのだろうか。
そういった事が起こらないように顧客の様々な情報を集めて、精査して、「信用出来るかどうか」を判断する。
別に文句が言いたいわけじゃない。
ただ用心深くやっていかなきゃ成り立たないんだなぁと思ってる。
借りる側が口で「ちゃんと返すんで〜」って言っても「それだけじゃ信用出来ない」って話なんよ。
貸す側はこんな言い方はしないと思うけど、「口だけで信用出来るか!」って腹の中で叫んでるでしょ。
そりゃそうだ。
疑ってんのよ。
信用できないんよ。
それなりの証拠がなくちゃね。
どいつもこいつも簡単に信用してたら金貸しは成り立たない。
返さない奴が現れる。
信用しない人が悪いんじゃない。
「信用を偽りで獲得しようとする奴」が悪いんよ。
だったら誰も信用しない奴の方がまだ信じられると思わないか?
本当の信用を知ってるか?
もし私が誰かを信用するのなら、崖の上まで登った後の命綱を握らせられる人だ。
もし私が誰かを信用するのなら、命を賭けてでも守りたい人だ。
もし私が誰かを信用するのなら、「騙されてもいい」って思える人だ。
自分がそこまで思える人がこの世に何人いるだろうか。
ほとんどいねーよ。
だから「誰も信用できない」って思うんだよ。
もしそんな人と出会えるなら奇跡みたいなもんだ。
そして心から信用できる存在が今日明日で突然現れる筈がない。
時間をかけて、価値観を共有して、少しずつ作られていくものだと思ってるから。
中には宗教的な信用もあるだろうけど、それによって自分の精神バランスが保たれるならそれでも良い。
結局自分で決めるべき問題でしょ。
でもね。
やっぱりどいつもこいつも信用してたら良し悪しに関係なく様々な事に巻き込まれるんよ。
ところが社会は人との繋がりで作られてるし、全てが一人で成り立つような生活をするには孤立する覚悟が必要になる。
家だって水だってゴミだって、「全部一人でなんとか出来るか?」って言われたら、「それはできん!」と思う。
普段の生活の中で「当たり前」になっている様々な事が「誰か」によって支えられているのはわかってる。
ただ、それらを維持する為に私達はお金を払ってる。
家賃だったり、水道代だったり、税金だったり。
それって、持ちつ持たれつなわけで…。
「弱みの握り合い」なんよ。
「当たり前」だけどお金を払わなきゃ供給されないなら払うしかない。
気が付きゃ「金払ってるんだから当然やるよな?」みたいな感じになってる。
お金を受け取る方も「お金もらってるんだからやらなきゃダメだろ?」ってなってる。
ギブアンドテイク。
本当の信用ってのはもっと別のところにあるんじゃないだろうか。
たぶん、お金とは無縁のところだろうな。
お金を信用し過ぎたり、お金によって支配される人間関係を築くのって、決してポジティブではないだろ。
だったら誰も信用しないで必要な人間関係を必要な分だけ作っておく程度の方が楽だと思う。
お金と信用の関係って、なんか、服従だな。
服従って、ネガティブじゃん。
信じるのは自分だけで十分だ。
誰も信用できない私でも、自分の事だけは信じている。
そもそもわがままってのもあるけど、誰かを信用したところで見返りを求めてしまう性格なのもある。
で、期待通りにならないと、自分が信用した誰かのせいにしてしまう。
小さい人間ですいません。
誰かに期待したのは自分なのに、その誰かが期待通りの結果を出せなければつまらない。
誰かの言い訳とか、それなりに用意してきた言い逃れも嫌い。
上司になったり、グループをまとめる経験をした事があれば一度は思った事があるはずだ。
「お前のせいで思い通りにいかない」とか「なんでお前はそこが気になるの?」とか、とかとか。
自分一人なら別に問題にも挙げないちょっと気になるところでも、めちゃくちゃ気にする奴がいる。
まとめ役になればそういった意見に対して拾い上げるか、スルーか、先に解決するか、後にするか。
悩みは多い。
グループならではの悩みや問題を解決するのが好きな人ならいいが、私は大っ嫌い。
「こいつはどうして指示通りにやらないの?」と思ってしまう。
「そんなに気になるなら一人でやれば良いのに…」と思ってしまう。
最終的に「こいつらは私の足を引っ張っている」と感じる。
感じてしまうのです。
相手にしてみれば良かれと思って言っているのかもしれないけど、みんながみんなそうじゃない。
なんなら足を引っ張りたいだけの奴がいたり、言うだけ言って何もしない奴もいる。
そんな奴らがいてもグループを束ねる役割なら全体的にバランスを調整しなくちゃいけない。
クソめんどくさいのだ。
だったら最初から一人で完結出来るようにしたい。
気が付いたら誰も信用できなくなってた。
で、まとめ役を降りた。
周りから見れば「逃げた」とか「負けた」と思うかもしれないけど、結果的に精神的苦痛は減った。
過ごしやすいわい。
たぶん周りの事を考えて、空気を読んで、多くの人の意見を全て反映させようとする心優しい奴ほどこういった悩みに襲われるんだと思ってる。
私自身が心優しき人だと言いたいわけじゃなくて、人と交わる事で精神的苦痛を感じる人もいるって事。
どうせほとんどの人が自分の事ばっかり考えてるんだから「誰も信用したくない」って思ってもいいだろ。
みんな思い通りにやりたいんだから。
私もそうするだけ。
誰かを信用するくらいなら自分の感覚を信じてやりたいですよ。
私の人生に誰かの意思に振り回されてる時間などいらん。
時間の無駄だ。
誰かを信用する事で訪れる居心地の悪い時間があるんだから。
だったら初めから信用しない方が良いだろ。
なにしろ、楽だ。
未来になればわかるだろ。
こんな事を主張してれば中には「誰も信用しないなんてナンセンスだ!」とか言い出すちっせえ奴も出てくるだろう。
「逆に誰にも信じてもらえないよ?」とか「結果的に損するよ?」とか。
そんな奴らに言いたい。
お前らは未来が見えるんか?
私は誰かを大切にする事が「悪い」なんて一言も言ってねーよ。
信用する事が「悪い」なんて言ってねーでしょ。
今の自分にとってはネガティブだと思ってるだけ。
先の事はわからない。
誰にもわからんだろ。
もし誰かに信じてもらいたくなったら信じてもらえるように努力するよ。
信用が必要になれば誰かを信じるよ。
はっきり言って「今」は必要無いと思ってるだけだ。
未来は誰にもわからないのに「今後は後悔するぞ」みたいな事言うなよ。
まるで「私はなんでも知ってます」みたいな雰囲気出すなよ。
人生は挑戦と経験で作られてる。
「誰も信用できない」の先に待ってる現実はやってみた人にしかわからない。
私は経験しなきゃわからんのですよ。
良し悪しがわからない状態で「人は信用するべき」なんて簡単に言うな。
自分でやってみて後で自分で決めるっつの。
だから今の私は「誰も信用できない」を堂々とやる。
そこから出た結果をちゃんと受け止めて、必要なら誰かを信じるし、必要無いならそのまま進む。
自分の人生くらい自分で選ばせてくれ。
どうか感想をください。