「上には上がいる」からこそ気が付けることばかり

生活

全ては追及する気持ちから生まれる。

追及したいものが見つかれば人は夢中になる。

そして追及しているものが充実していれば他のものが気にならなくなる。

趣味であっても仕事であっても恋愛であっても。

 

極めたくなる程の魅力を感じるものがある。

 

これが夢や野望に繋がったりする。

そしてほどなく上を目指したくなる。

追及したいものに対して情報を集め出す。

 

「これをやればもっとうまくいくかもしれない!」

 

一種のひらめきのような感覚を得る。

そしてそれがうまくいった時に、何かを成し遂げたような気持ちになる。

自分の中ではノーベル賞も取れるんじゃないかって程に錯覚する。

 

「自分最強!」

 

とまで思う。

自分だけが特殊な能力を持っているような感覚になる。

その気持ちを持ってさらなる追求を始める。

大きな自信をつける。

周囲に「追及している分野」に限って右に出る者はいない。

紛れもなく自分がトップ。

そこからさらに力を拡大していく。

まるで勢力の拡大。

更に上を目指していく。

そこで気が付く。

 

上には上がいる。

 

いつもそう。

追求すればするほど上には上がいることを思い知らされる。

 

遅かれ早かれ壁が出現する。

 

そして多くの場合。

その時に挫折する。

 

折れない心を持っているか。

 

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何をやっても上には上がいる。

考えていることは皆同じ。

人は「人でいる為に何が出来るか」を優先する。

それが趣味であっても仕事であっても恋愛であっても同じ。

「人として」選択をしていく。

だから「人としていられる」最低限のものを手に入れながら「やりたいこと」を追求していく。

 

お金が必要なら仕事をする。

または、お金を得られる方法を模索して実行する。

恋愛が必要なら恋をする。

相手に好きになってもらえるように選択していく。

趣味が必要なら時間を作る。

自分が最も納得のいく方法で時間を捻出する。

 

どれを選んでも、そのほとんどが「誰かがすでにやっていること」だったりする。

自分では「発明的だ!」と考えていることでも、すでに誰かがやっている。

ほとんどがそう。

なぜなら同じ人間だから。

世界にこれだけの人間がいるのなら「同じことを考えている」可能性があって当然。

そしてすでにそれを追求している人もたくさんいたりする。

 

上を目指せば目指すほど自分より上がいる。

 

わんさか出て来る。

追及すればするほどそういった連中がいることに気が付く。

そこで自分の実力を知ることになる。

 

「クソ。上には上がいるな。」

 

その時に諦める。

追及出来るものを再び探し始める。

 

世界には「同じことを考えている連中」がわんさかいる。

 

ってことは、

上には上がいるってことを知って諦める連中もわんさかいる。

すでに挫折して、諦めている人がどれほどいるか。

その後、

新しく追及出来るものを探している人がどれほどいるか。

永久ループ状態。

 

何をやってもどうせ上には上がいる。

 

考えていることは皆同じ。

 

じゃあどうすりゃいいんだ。

 

才能か努力か奇跡か。

追及するのをやめる時。

それは自分が挫折した時。

上には上がいるっていうのが当たり前だとしたら、それは挫折の理由にならない。

 

挫折するのはいつも自分の予想と反して圧倒的に叩きのめされた時。

 

だから「上には上がいる」って考え方を当たり前にする。

それなら自分よりも優れている人がいたとしても驚かない。

驚かないし、その時点で敗北感はない。

なぜならそれが普通だと思っているから。

 

全く問題ない。

 

上には上がいても大丈夫。

自分にだって才能があるし努力もする。

続けていれば奇跡だって起こせるかもしれない。

 

全てに関して上には上がいる。

 

どんなに自分に才能があると思っていても、更にその上を行く才能の持ち主がいる。

どんなに努力をしても、さらに努力をしている者がいる。

奇跡が起きるかもしれないっていう期待を持っている人はもう数えきれない程いる。

 

だからまた、挫折する。

 

何もかも「上には上がいる」っていうのはこういうこと。

「追及しているもの」だけじゃなくて、「才能」や「努力」ですら上には上がいる。

 

八方塞がり。

 

何をしても絶望的に大成しない気がしてならない。

 

「出来る」の証明。

一通り「夢」を抱いて。

一通りそれなりに追及してみて。

それなりの才能と努力を持って挑んだつもり。

 

気が付けばそれなりの年齢の大人になる。

 

「昔はこんな夢を抱いたもんだなぁ。」

 

なんて言って語ったりすることもある。

 

「お前の夢はなんだった?」

 

なんて言って子供の頃の思い出を確認してみたりすることもある。

年齢的に「もう無理だ。」と感じた「夢」であればそれを我が子に託す親もいる。

我が子には「自分と同じ道を歩ませない」と全く違う道を勧める親もいる。

「厳しい環境で育ったから」と我が子には「自由」を選択させる親もいる。

 

それすら上には上がいる。

 

すでにそれを実行している人がいる。

人が想像出来ることや追及するものはほとんどの場合「人であること」を超えない。

 

機械なら出来るのに。

スーパーマンなら出来るのに。

動物なら出来るのに。

 

人に出来ないことを夢として追求しない。

 

誰もが自分の持つポテンシャルを感じながら生きている。

 

自分に「出来る」、「出来ない」を常に判断している。

 

「鉄の塊を手で割く」として。

それが自分に「出来る」か「出来ない」か考える。

出来ないと思えばやらない。

出来ると思えば「鍛える」し「追及する」し「夢」になる。

 

それでも将来「鉄の塊を手で割ける」かどうかはわからない。

 

いつもわからない将来に向かって、才能を持って、努力して、鍛えて、追及してきた。

その結果「出来ない」と判断して挫折する。

「上には上がいる」を知って挫折する。

 

でも、誰かがどこか「鉄の塊を手で割いた」とする。

 

その一発で、誰でも「出来る」って皆が思う。

 

同じ人間がしたことなら、それが「出来る」ってことになる。

 

自分にも「出来る」って考える。

 

そうすると次から次へとそれが出来る連中が出てくる。

なんなら同時に2つの鉄を片手で割く者が現れるかもしれない。

 

100メートル10秒の壁は人類には超えられないって言われてた。

 

でも誰かが超えた。

そしたら世界新記録が塗り替えられた。

オリンピックの度に世界新記録が出る。

 

「出来る」って証明した人がいるから。

 

だから多くの人がそれを超えられるようになった。

 

今日も誰かが「出来る」を証明している。

 

自分には何が出来るだろう。

 

自分の幸せへの追求。

鉄を手で割こうが、100メートルを9秒台で走り抜けようが、それに興味が無けりゃ追及しない。

たまたま、それが世界記録で、多くの人が注目するキラキラする舞台だったのかもしれない。

そこで結果を出すこと。

そこで「出来る」を証明すること。

 

それがその人の幸せなんだとしたら。

 

今、自分が「上には上がいる」と考えて、大きな挫折をして、夢に破れて、何もかも奪われてしまったような感覚を持っているのはおかしいと思う。

 

「出来る」の証明によって誰よりも「自分が幸せを感じている」のだとしたら、そもそもその記録を打ち破ることが「自分の幸せ」になっていなくてはいけない。

 

これまで追求してきた夢は本当に自分の幸せの為だったのか。

 

もしこれまで抱いた夢がことごとく打ち砕かれたのなら、その時、「自分の幸せ」が打ち砕かれたような音がしただろうか。

 

もっと心の内の核のようなところに「自分の本当の幸せ」があるんじゃないだろうか。

 

それさえ持っていれば、それさえ守れているのなら、

歳を重ねて居酒屋で子供の頃の夢を語って何が悪い。

「上には上がいる」と挫折して違うことに挑戦して何が悪い。

「鉄を手で割く」を実現しようと毎日鍛えて何が悪い。

 

「自分の幸せ」がそこにあるならそれで良い。

 

どんなに夢を諦めたとしても、どんなに大きな挫折を繰り返したとしても、

 

「自分が幸せを感じる方向へ」

 

歩いているなら何の問題もない。

いつも、何をやっても、常に上には上がいる。

 

どうせそんなもん。

それなら自分は「自分が幸せを感じる」選択をしていくしかない。

 

たぶん、

自分の幸せは、「鉄を手で割く」でもなく、「100メートルを8秒台」で走ることでもなく、

 

「少しの贅沢とそれなりの愛情と家族がそばにいてくれること。」

 

それを満たす選択肢なら、

 

上には上がいても関係ない。

 

今はそう思ってる。