高い位置に「普通」を設置すると常に大きな結果を出せる。

生活

普通でいる。なんと難しいことか。

普通でいるのは難しい。

偏りの無い考えを持っていないといけないからだ。

偏りが無いというのは社会の中心を捉えること。

社会の中心とは国民の半数以上の人が「そう思う」を獲得したもの。

それが普通だ。

自分が普通だと思っていることが普通だとは限らない。

むしろ普通だと思っている事が偏っているかもしれない。

普通でいたいと感じていることがすでに普通ではない可能性もあるのだ。

普通である事を目指すのであれば「普通」の感覚を鍛えなければならない。

「普通でいいよ」と言っても普通の感覚が伝わらないと感じるかもしれない。

それは感覚の違い。

「普通」とは流動的で時代と共に変わるのだ。

もしあなたが普通でいたいと思っているのならその感覚を研ぎ澄まさなくてはいけない。

そしてそれをすべての人に納得してもらえる程の説得力が必要なのだ。

全ての人に納得してもらえる程の説得が出来るだろうか。

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「普通」は結局個人的な感情であって共有するようなものではない。

自分の中で持っている「普通」の全てを自分以外の人に変えることが出来るだろうか。

出来ないのだ。

むしろ普通じゃない感覚によって心理的に体が動かされる。

例えば足が速くなりたいと願う少年がいる。

もうその時点で普通ではないかもしれない。

その少年が普通よりも足が速いのか遅いのかでその感覚は全く違う。

すでに足が一番速いのに「もっと速く」と考えているのなら普通より足が遅い少年よりもストイックな考えの持ち主。

つまり普通ではない。

だが本人は「もっと足が速くなりたい」と考える事を普通としている。

だからもっと足が速くなる為の練習を日々続けるだろう。

自分の足の速さに対する考え方が普通ではないのだ。

そして足が速くなる練習を日々行い続けることが普通になる。

速くなればなるほど練習として行っている普通の位置が変化する。

自分の中での「普通」も流動的なのだ。

気が付けば一般的に「普通は練習し過ぎ」と感じる事もその少年にとっては「普通」になるだろう。

普通よりも「普通の位置が高い」のだ。

普通の位置を自ら引き上げていける人こそ偉業を成し遂げる。

偉業を成し遂げる人の「普通」と一般的な人が考える「普通」が違って当たり前なのだ。

そしてその「普通」を共有することなど出来ない。

それでもお互いが全く同じ「これが普通」という感覚なのである。

どちらの方が大きな結果を得る事が出来るのかは一目瞭然だ。

普通という感覚をどこで保つかでその結果は大きく変わる。

それであれば普通という感覚を鍛える方が「お得」なのだ。

同じ「普通だ」という感覚でも日々こなしている量が違うのだから。

「普通」を引き上げる。

例えば一枚400文字の原稿用紙に一日最大で2枚分の文字が書ける人がいるとする。

その人一日に書ける文字の数の普通は「1枚分」だ。

普通というのを真ん中にするとちょうど一枚分になる。

毎日普通にそれをこなしていけば1枚分の文字を書くスピードは速くなるだろう。

だがそれ以上の文字を書く速さは変わらない。

その普通がもし「3枚分」書ける人がいるとすれば一年間でどのくらいの差が生まれるだろうか。

10年になればもう追い付く事が出来ない量になるだろう。

それでもお互いが「普通」だと感じているのだ。

全く同じ感覚を持っていても結果が全く違うものになるのだ。

それが普通の差である。

この普通をどうやって引き上げていくのか。

それは単純に一日で書ける文字の数を1枚が普通ではなく3枚が普通にするだけである。

そして普通を3枚にする為には限界を引き上げる。

一日6枚分書く事を限界にするのだ。

つまり限界に挑戦し続け、最大記録を伸ばす。

最大で6枚書けるのであれば3枚は容易いのだ。

そしてそれが普通になるのだ。

もしこれまで3枚が普通だった人を後に追い越そうと思うのであればさらに最大を引き上げる。

一日10枚までが最大になれば5枚は普通になる。

普通という感覚を引き上げるには限界を先に引き上げる必要があるのだ。

毎日のように限界を引き上げる努力をしている人は「普通」の感覚の位置が高い。

そしてその分の結果を得ている。

人々は毎日を積み重ねて生きていく。

そして大人になるにつれて「普通」」を維持しようと考える。

次の日の事も考え、無理をしなくなるのだ。

そうなるとそれまで積み重ねてきた最大の記録の半分の力しか発揮しない。

その考え方が悪いというわけではない。

それが「普通」だと感じるからだ。

それでもこれまで出した最大の記録が高かったり大きかったりする人の方が「普通」だと感じる位置が高い。

どんな状況でも「普通」の位置が高い人の方がお得なのだ。

普通を引き上げる為には限界を引き上げる必要がある。

限界を引き上げていればたとえ「普通」にこなしたとしても通常の倍は結果を得られるのだ。

「普通」が高い位置にある事で得られるもの。

普通が高い位置にある事で得られるものは間違いなく結果である。

原稿用紙の枚数だけではなく、仕事でもスポーツでも、恋愛でも大きな結果を得られる可能性は高い。

普通を高い位置に保つだけでいいのだ。

限界値が高ければ自然に「普通」の位置は高くなる。

限界値を上げる為には努力も我慢も必要かもしれない。

だが、一度それを上げてしまえばあとは「普通」にやるだけでいいのだ。

「普通」にしているだけで通常よりも大きな結果を得られる。

仕事の結果を出せば給料に反映される日も来るだろう。

スポーツで結果を出せばさらに飛躍するチャンスを得るだろう。

恋愛で結果を出せば理想の相手と幸せな生活が送れるだろう。

限界に挑戦出来る機会は誰にでもある。

毎日のようにある。

「今日は限界に挑戦する!」という一時の気持ちで構わないのだ。

それで限界値を少しでも上げればいい。

そうする事で次の普通は少し高い位置になる。

それを繰り返すのだ。

毎日毎日限界に挑戦する必要はない。

あくまで自分の意志で決められる。

普通というのは個人的なものであって周囲の環境に全てを委ねるものではない。

今いる環境の中でも限界には必ず挑戦出来る。

「普通」を引き上げるきっかけはいつでもあるのだ。

「今日は普通でもいいや」という気持ちがあっても構わない。

毎日毎日永久に限界に挑戦など出来ない。

それでいいのだ。

限界に挑戦する日があればおのずと「普通」の位置は高くなる。

もし毎日を何気なく「普通」で過ごしているのならすごくもったいない。

限界を超える一日があった方がよっぽどお得だ。

「普通」を引き上げられればそれなりの結果が得られるのは間違いなのだから。

サボり続ければ限界値は下がる。

一度上げた限界値のおかげで「普通」を引き上げることが出来ても、時間の経過と共にその「普通」は下がる。

それは限界値も同時に下がる事を意味する。

スポーツで例えるのであれば限界値を上げていくことをやめた場合だ。

マラソンのタイムは自己記録を超えていくことで自分の走るスピードを上げていく。

だが、自己記録に挑戦するのを長時間やめてしまうとどんどんスピードが落ちていく。

それは「普通」に体が慣れてしまったからだ。

「普通」に照準がセットされていると限界値が下がってくる。

そしてそのまま「普通」も低い位置になる。

常に限界に挑戦する必要はないが、定期的に限界値を上げようとしなければ更なる結果を得ることは出来ない。

今高い状況にある「普通」をキープする為にも限界に挑戦する機会が必要になる。

大切なのは「サボり続けない」ことである。

ダイエットでも同じような事が言える。

一度は痩せてもリバウンドする人が多いのはサボり続けるからだ。

一時的に食べ過ぎたとしても次の日に対策をすればリバウンドはしない。

サボり続けることで結果的にリバウンドするのだ。

一時的ではあるが、せっかくダイエットに成功するという大きな結果を得たのにもったいないとは感じないだろうか。

サボり続ける事をやめるだけで自分の理想の体型を維持出来るのなら「お得」だとは感じないだろうか。

ずっとサボらないというわけではない。

サボり続けるのをやめるだけでいいのだ。

それだけで「普通」を高い位置でキープすることが出来る。

理想は普通に結果を出す事。

サボり続ければ限界値は間違いなく下がる。

サボり続けなければ「普通」を保つことが出来る。

だが理想は「普通」でも常に結果を出す事だ。

例えば営業の仕事をしていて、常に成績が優秀な人がいるとする。

どんな状況でも常に成績が良いのだ。

それは単に「普通」の位置が他の周りの人よりもダントツで高いということ。

誰よりも「普通」に多くの人にセールスをしている。

誰よりも「普通」に休む時間が短い。

誰よりも「普通」に高い次元で当たり前の事をこなしている。

その全てが本人にとって「普通」なのだ。

つまり限界値はもっと先にある。

まだまだ自分の限界値はそれ以上なのだ。

それでも「普通」にしているだけでトップの成績を上げる。

毎日当たり前にやっているだけ。

呼吸をするのと同じような感覚だ。

理想の状態は「普通」でも結果を出し続けることなのだ。

そこまで達していない状態なのであればきっとまだまだ限界値を上げられる。

実際にそれをやってのける人が存在するのだ。

自分に出来ないわけがない。

バカになれということではない。

毎日の積み重ねなのだ。

毎日毎日限界に挑戦している人の「普通」が上がらないわけがない。

そして挑戦し、記録を塗り替える度に「普通」が高い位置になっていく。

気が付けば「普通」にしていても一般的な「普通」以上の結果を常に出せるようになるのだ。

あなたが理想とする「普通」がどの位置にあるのか一度じっくり確認してみてほしい。

そしてそれを「普通」とする限界値はおそらくその倍になる。

理想とする「普通」の倍を限界値にしなくてはいけないのだ。

ほど遠い未来に感じるかもしれないが、それが出来る人がそれこそ「普通」に存在しているのは事実。

あなたに出来ないはずがない。

限界値を上げる楽しみ。

人は限界値が上がる実感をすると「楽しい」と感じる。

目標に到達した達成感とそこから更に先に行けるワクワク感があるからだ。

限界を超えれば超える程そのワクワク感は増していく。

自分の手がどこまで届くのか知りたくなるのだ。

例えば貯金の目標を100万円とする。

その目標に到達した達成感とさらに貯金が出来るかもしれないというワクワク感を同時に得られるのだ。

貯金額が5万円であれば100万円まで遠く感じるかもしれないが、それを達成してしまえば更に先に手が届きそうだと感じられる。

しかし貯金をサボり続ければたちまちお金は減っていくだろう。

だがすでに100万円を貯める方法を知っているあなたはすぐにサボった分を取り返すことも出来る。

一度でも辿り着いた目標には初めてそれに挑むよりも容易に辿り着ける。

一度でもダイエットの成功したのなら体重の減らし方を知っているのと同じだ。

そしてその目標に到達した達成感も得た事がある。

問題はその先のワクワク感。

作った目標のさらに先にあるワクワクする気持ちに辿り着けるかどうか。

本当に楽しいのは目標を達成してからであることを忘れないでほしい。

そしてその先に辿り着く自分がどれだけ充実した生活をしているか想像してほしい。

限界は超える度に先に行く。

だから果てしないものだと考えてしまうかもしれない。

だがそれは違う。

限界が作られないのにはちゃんと理由があるのだ。

限界に限界が無い理由。

限界を超えれば更なる限界が訪れる。

限界に限界が無い状態。

そうなると目標を定めるのが嫌になるかもしれない。

とても大変だと意識してしまうかもしれない。

だが落胆する必要はないのだ。

限界に挑戦することはその人の「普通」の位置を高くする。

限界に限界があれば達成感のみになってしまう。

達成感のみになってしまえば限界を突破した時のこの先どこまで手が届くかというワクワク感は無くなってしまうのだ。

それが無くなる事は成長が止まる事を意味する。

そうなると人はサボる方を選ぶようになるだろう。

限界に限界が無い事は良い事なのだ。

限界に限界を作ってはいけない。

その先は無限なのだ。

そうやって人は進化してきたのだ。

今手元にあるスマートフォンが100年前に「作れる」と考えられただろうか。

限界を作れば今もまだ携帯電話すら出来ていなかっただろう。

だが今は携帯電話を持っていることは「普通」なのだ。

限界に限界を作ってはいけない。

突破し続けることこそ最大の「普通」を手に入れる方法なのだ。

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過小評価され過ぎアーティスト

過小評価され過ぎなアーティスト、「楽屋シンジ」さん。

この方、作ってる音楽は素敵なのに評価が低い。

むしろ誰にも評価されてない。

あまりにも残念なので応援したい。

ポップな音楽だから多くの人にそれなりの評価を貰えそうなのに圧倒的に露出が少ない。

なのでこのブログを通してお勧めしたい。

もったいないなぁとつくづく思う。

「楽屋シンジ」さんのYouTubeチャンネルを貼っておきますのでとにかく一回聴いてチャンネル登録してあげましょう!

みんなで!

あれんじ

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