時間を「無駄」にしなければ「大切」になんてしない

生活

時間を無駄にしていると感じることがある。

その時間を使って「自分の為の有意義な何か」に替えたい。

そう思った時、普段の生活の中で自然に選んでいる選択肢も見直すべきかもしれない。

 

もしかしたら、無駄にしている時間が他にあるかもしれない。

 

時間の使い方は大切な人生の課題で、何かを成し遂げる人は、これがすごく上手な気がしている。

誰にでも平等に与えられているからこそ有意義な使い方をしていきたい。

 

自分の時間を有意義に使える人になりたい。

 

普段過ごしている生活の中で、

大切にしなくてはいけない時間とはどんなものだろう。

 

遊ぶ時間だろうか。

仕事をする時間だろうか。

食事をする時間だろうか。

寝る時間だろうか。

誰かと話をする時間だろうか。

家族と一緒に過ごす時間だろうか。

 

正直どれも大事にしようと思えば大事で大事じゃないと思えば大事じゃない。

 

基準が曖昧で理由の付け方によってはどれも大切だしどれも大切じゃなかったりする。

それなら自分が大切にしたい時間の理由を考えればいい。

 

どうして大切にしたいのか。

 

それが説明出来て、尚且つ誰かを納得させられるものなら有意義な時間と言えるような気がする。

時間は平等、だから無駄にしたくない。

 

今過ごしている時間に理由をつけてあげたい。

 

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もっと有意義な時間を過ごしたい。

今が未来。

私は「今を生きること」はすごく大事だと思っている。

今がなければ未来はない。

とまで思っている。

ただ、過去の事を考えたことがあまりない。

 

もしかしたら、今があるのは過去のおかげかもしれない。

 

そう思った時、

「今」は明日には過去になって、今が明日を作っていたり、そのさらに先の未来を作っているのかもしれない。

と考えるようになった。

 

これは過去を大切にするということではない。

 

今を「もっと大切に」しなくてはいけないってことだと思う。

 

今をもっともっと大切にすることは「未来」をもっともっと大切にするってことに繋がる。

 

明日の為の今日。

とか。

未来の為の今。

とか。

深く考え過ぎると辛い時や失敗した時でも足を動かさなくてはいけない。

 

「辛くなっている今」や「失敗した時」を無駄な時間だと思ってしまうかもしれない。

 

それはちょっともったいない。

 

辛い今を乗り越えることで未来があるのなら、

ちゃんと向き合って「辛いものは辛い」と認めなくてはいけない。

 

それを無視して無理やりポジティブになったところで本当に「今」を大切にしていると言えるだろうか。

自分の為の有意義な時間だろうか。

私にはどうしてもそうは思えない。

 

失敗して、未来の自分の為に、「今はヘラヘラする」選択は間違っていると思う。

失敗した事を認めて、凹んで、たまに辛くなったりしながらも、一生懸命考えて打開策を練っていく。

それが今を大切にしているってことなんじゃないだろうか。

 

凹んだり辛くなったり考え過ぎてしまう「今」だって大切にする。

その代わり、楽しくて、嬉しくて、幸せな今も大切にする。

 

「今」をめちゃくちゃ大切にすることが「未来」そのものを大切にすることなんじゃないだろうか。

 

たぶんそういうことだと思っている。

 

「得るものがない時間」の経験。

これまで色んなことがあったけど、思い出してみると「得るもの」がなかった時間がある。

 

結局世間話をするだけの会議。

「する事が無い」という相談。

「何もできない」と嘆く時間。

 

「得られるものがなかった」と思っている。

ただ、人は経験しないと学ばなかったりする。

私はまさにそのタイプで、

自分が経験したものに対してしか信じられない。

 

これが頑固だからかなんなのか、

「得られるものがない時間」を経験して覚える。

 

従わないわけではない、

反発するわけではない、

なにかを訴えたいわけでもない。

 

「無駄な時間」を経験してこそ「有意義な時間」を作り出せると思っている。

 

たまに、

「あれ?無駄じゃね?」

 

と感覚的に思うことがある。

経験から来る直感に近い感覚だけど、それが自分の足をすぐに動かしてくれるようになった。

 

「無駄だと感じたなら無駄だ。」

 

すでに経験したことがある「無駄な時間」を直感的に判断して行動する。

 

この場合その場から立ち去るか、「自分の今」を有意義に使う時間に変えようとする。

 

それが合っているかはわからない。

直感だから結果的に間違っているのかもしれない。

だけどその分「自分の今」を有意義に使えているのは確か。

だから後悔することはない。

 

これも経験しないとわからない。

 

有意義に過ごせない時間が全て無駄なわけではない。

そこから得た経験で次にどのような判断をしていくか。

 

有意義な時間を増やす為に「無駄な時間」の経験は必要だと思っている。

 

決断から行動までの時間。

「思い立ったらすぐにやる」と言われたことがある。

「迷っている時間を少しでも無くそう」ってことだと思っている。

ただ、私は「迷っている時間」も必要だと考えている。

迷って、決断して、行動して。

 

その経験を経てから「思い立ったらすぐにやる」に辿り着くと思っている。

 

それなのに、まるで「何も考えずに行動せよ」と言わんばかりの緊迫感。

私は様々な経験を経て、ようやく「迷ったら行動!」に辿り着けると思っている。

これは単に私が「自分が経験したこと」しか信じないタイプだからかもしれない。

 

ただ、誰かが言うことをなんでも鵜呑みにしていたら「自分の為の有意義な時間」じゃないような気がする。

 

どんなに無駄だと思っても、悩んで、「自分で」決めたい。

じゃないと助言をくれた人のせいにしかねない。

そんな事でいつも誰かのせいにしていても面白くない。

誰かの人生ではなくて、自分の人生なんだから、自分の経験と共に「思い立ったらすぐにやる」に辿り着くべき。

「思い立つ」っていうのが直感的なものならきっと他の人には理解しきれない思考が働いている。

それが経験。

 

自分の直感が信じられるくらいに、

失敗して、反省して、チャレンジして、繰り返して、成功しなくてはいけない。

 

今を大切にしていない状態で「思い立ってすぐに行動」しようものならその後うまくいかなかった時の「後悔」も経験にならない。

「思い立ったから行動しただけ。」

「だからうまくいかなくて当たり前。」

そんな逃げ道を作ってしまう。

 

全てをただの「思いつき」にしてしまう。

 

決断から行動までの時間を短くするのは「有意義な時間」を増やすことに繋がるが、「今すぐに」誰でも出来るような事ではない。

悩んで決めようが速攻で決めようが、

「自分で決めた」「その後どうなったか」という経験が必須だと思っている。

 

いつも思い立ったらすぐにやって最高の結果を得られるなら「誰も失敗しない」はず。

 

私は失敗に次ぐ失敗を重ねて「慎重」になることを覚えた。

様々な経験を経て「ある程度先まで見通しがつく」ようになって、決断から行動までの時間が短くなった。

 

ような気がする。

 

「本当に」無駄な時間などない。

無駄な時間を経験して、有意義な時間を作り出していくタイプの私には、

 

「本当に」無駄な時間などないかもしれない。

 

「あの時の時間は無駄だったなぁ。」

と思うことはあっても、

その経験をしたからこそ次は同じ経験をしないように心がける。

 

あの時、無駄な時間を過ごした分、これから先の時間を有意義にしようとする。

 

後悔や失敗がなければ「時間を大切にしよう!」とも思わない。

今を大切にしようとしない。

 

無駄にした経験があるからこそ次を大切にするんじゃないだろうか。

 

時間が二度と戻らないと実感して、経験して、初めて「今」という時間を大切にしようとする。

 

もし、今、「無駄な時間を過ごしているなぁ」と思っているのなら、それは間違ったことじゃないと思う。

 

むしろ有効に使う為の経験だと思う。

 

「わざわざ全校集会で話すようなことじゃないだろ。」

と思った学生の頃。

真夏でもただ汗をかきながら立たされたあの頃。

真冬でも「寒いー」と言いながらも列を乱さず背の順で並ばされたあの頃。

 

今思い出すと、あの時の先生方の話は

「プリントして配ればいい事」ばかりだったと思う。

 

あれだけ無駄な時間を過ごしたのだ。

 

これから先、時間を大切にするに決まっている。