人には忘れられない過去が一つや二つあるものだ。
「なんにも考えてなさそうですよねー。」
と後輩に言われた。
「そうかねー。」
と言いながら、「お前より考えていることはたくさんあると思うけどな!」と心の中で罵声を浴びせる。
考えてなさそうで考えているわけではない。
考えて無さそうな人の方が他人から見たら強そうに見えるんじゃないかと思っているだけ。
だから考えていないような雰囲気を出して生活をしている。
色々理由はある。
先輩なのにいつも何かに悩んでいたら後輩が頼れないんじゃないか。
いつも悩んでいる人ってなんか生活にハリがなさそう。
暗い人に話しかける事ってあまりない。
話しかけられないと情報も入って来ないし、楽しく生活出来ない気がする。
だから無理して「何も考えていないような」雰囲気を醸し出している。
無理やり自分をポジティブにしようとしている。
結局、単純に明るい方が生きやすいんじゃないかと思っている。
自分なりの生き方を。
背伸びしようぜ。
無理やり自分の考え方をポジティブにする。
「どうってことないさ!」
「やり直せばいいさ!」
「やって出来ないことなんてない!」
「自分なら出来る!」
生きてれば絶対になんらかのネガティブは起きる。
ネガティブが起きる度に一度は凹む。
ダメになる。
落ち込む。
泣く。
動きが止まる。
塞ぎ込む。
生きていればポジティブにもネガティブにも転がっていく。
ただ、生きていればポジティブな事も起きる。
良い事だってある。
数える程しかないかもしれない。
でもせっかくの「良いこと」を思う存分味わいたいじゃないか。
普段は散々ネガティブになってるんだからたまにはいいんじゃないだろうか。
たまに無理してポジティブに装ったっていいじゃないか。
だめなのだろうか。
無理をしてみて、思いっきり胸を張ってみて、背伸びしてみて。
そんなに良い事なんて起きないよ。
どうせ。
だったらたまーに思いっきり背伸びして息抜きしたい。
それが無理ならまたネガティブの中に戻ればいい。
継続出来るなら背伸びしたままでいい。
「どうせ良い事なんて無い」って決めちゃうのと。
「一回くらい良い事あるんじゃね?」って思ってるのと。
結構違う気がする。
ダメでダメでダメでダメな日を過ごししていると、
「どうせ良い事なんて無い」って思う。
でも今日は、一日だけ、
「一回くらい良い事があるんじゃね?」
って。
ちょっと背伸びしようと思っている。
他力本願で構わない。
誰かに頼る。
誰かに頼って、全てを委ねる。
そうするとその「誰か」が失敗した時に、「誰かのせいで」と言い訳をする。
他人のせいにする。
そうすると結局自分では解決出来ないことが多い。
と、思われがち。
極めたらいい。
「他人に何かを委ねる事」を繰り返して、誰かのせいにして、それを繰り返して、
他力本願も極めちゃえば別に良いじゃん。
自分には何かを打開する力はないし、そもそもなんでも一人で出来るわけがない。
誰かのせいにしたくないから「誰にも頼らない」ってのはきっとネガティブな考え方だと思う。
他人のせいにしたくなる瞬間ってたくさんあるじゃないか。
こんなにたくさんあるのに「あいつのせいで!」って言ったらいけないのか。
そんな馬鹿な事はあるか。
人はひとりで生きていけないって言うくせに「誰かのせい」にはしちゃいけない。
誰かと生きてれば「誰かのせい」にしたくなる瞬間が絶対にある。
それすらも「自分のせい」にしてしまうのか。
私はそんなに強くない。
強くないというか納得がいかない。
「誰かに騙されたとしたら、騙された自分も悪い。」
納得出来るわけないだろうが。
騙す方が一方的に悪いに決まってるわ!
それで自分が悪いってなったら「誰かを信じられなくなる」じゃないか。
人はひとりでは生きていけないのに「誰かを信じられない」っておかしいだろう。
矛盾がいっぱいだ。
精神論なんて矛盾だらけだ。
全てを「他人のせい」になんてしない。
でも全てを「自分のせい」にもしない。
他力本願でいいじゃないか。
人を信じる気持ちって必要だと思う。
なにもかも一人でやる人がいたとしても、
その人がどんなに多くの共感を得て、多くの人に好かれているとしても、
私はそういうタイプの人間ではない。
出来ないもんは出来ない。
自分の事は自分が一番よくわかってる。
「少し先の未来を想像してそれに向かって頑張る。」
そういう事を良く言われた。
少し未来を想像して。
「それに向かって努力すれば夢だって叶うさ!」
待て。
私を舐め過ぎてる。
まるで努力出来ていない人間のように思われているのだろうか。
努力なんてするし。
当たり前にするよ。
出来るし。
やってるし。
誰かを巻き込んで無理やりポジティブを押し付けるのはネガティブだから。
そもそもそれが必要だったら、
「お願い!元気づけて!」
ってお願いするから。
今はいらない。
余計な気を回して無理をしている姿を見たくはない。
それに自分の事は自分が一番よくわかってる。
だからあなたはあなたで勝手にポジティブになっていればいい。
同じ目標があっても目指し方は人それぞれ。
それこそ他人である私を信じてほしい。
ポジティブを押し売りに来るな。
それでこっちも気を回して、
「一緒に頑張っていこうね!」
って言ったら気持ち悪いだろうし。
わかってるから黙って見てろ。
ネガティブな時にポジティブな気持ちをぶつけてくるな。
そんなもん吸収出来るわけがない。
努力ならとっくにしてるよ。
それでもダメだから一度考えたっていいだろうに。
立ち止まってもいいだろうに。
それを無理やり前に連れて行こうとしないでくれ。
自分で納得して先に進みたい。
自分の未来だから。
あんたの未来じゃない。
というか、
私はそんなに子供じゃない。
でっかい夢なんていらない。
誰かが持ってるような。
聞いたことがあるようなでっかい夢は自分にはない。
プロのスポーツ選手とか。
大金持ちになるとか。
メジャーデビューするとか。
芥川賞を取るとか。
何かでナンバーワンになるとか。
誰かの前で、ちょっぴり背伸びして、大袈裟な夢を語ったりすることはある。
あるけど本当のところそんなに貪欲ではない。
毎日毎日そのでっかい夢だけを追っているわけではない。
なんなら忘れている時の方が多い。
別の事を考えていることの方が多いかもしれない。
熱く語ることはあってもその夢はコロコロ変わっていく。
これってダサいのだろうか。
「男なら、一つのでっかい夢を持て!」
って言われても困る。
だってコロコロ変わるんだから。
結局今しか生きてない。
今を生きるのに精いっぱいというか。
それでもそれなりに今は幸せだと思っている。
でっかい夢って必要なんでしょうか。
今までそういった「誰もが抱く夢」を精いっぱい追ってきて、歳を重ねて気が付く「無理かもしれない」っていう現実を目の前にした時に、でっかい夢だけ追いかけてた方がショックが大きい気がしてならない。
それでも「でっかい夢」を追いかけなくてはいけないっていう使命感だけでやっていく感じになる。
私にはいらない。
そんなにでっかい夢は背負えない。
持て余してしまう程でっかい夢なんて掲げたら現実逃避に近くなってしまう。
それなら毎日毎日違う夢を持って一日ごとにそれがクリア出来たかどうかの方が面白い気がしてならない。
もちろん夢っていうんだからほとんどは掴めない。
でも毎日毎日届きそうな夢の方が追っていて面白いのは間違いない。
自分はそういうタイプ。
自分に背負いきれない夢なんて背負わなくていい。
手が届きそうな夢を見つけて、それに向かって毎日少しずつ頑張っていく方が合っている。
そういう人がいたっていいじゃないか。
でっかい夢なんて叶えられる人が抱えればいい。
今日を生きるのに精いっぱいだ。
それでも自分なりには頑張ってると思っている。
どうか感想をください。