私は20代の頃、自分が本気でやりたい事がわかりませんでした。
以前、 https://k-of-mind.net/i-understand-that-i-dropped-out-of-college-6015
上記でも書いたことがあるように、私は本当にやりたい事が何なのかわからずに、周りに合わせて「それなりの選択」を続けてきた。
初めて自分でちゃんと決断をしたのは「大学を辞めた時」でした。
まだその時は単純に「音楽がやりたい」ってだけだったけど、とにかくそれをやった。
何年か続けていく内に仲間が出来たり、お客さんがいたり、求めている人がいる事に気が付いた。
一生懸命何かを頑張る事で応援してくれたり共感してくれる人だって現れるんだって思った。
でも音楽だけじゃ生活出来るような稼ぎにはならなくて、現実的に考えれば音楽以外にも「仕事をしなくちゃ」って考えて、その後、結局音楽を辞める決断をする。
今の自分が一般的に言う「社会人」になれているかわからないけど、「仕事」をすることでなんとなく社会人としての一員になれたような気持ちになったのを覚えている。
大学を辞める選択をした時や、音楽を辞める決断をした時、視界が少し広くなった。
台無しになったわけじゃなくて、自分で決断して得た経験や考え方や知識は残ります。
だからこそ次のステージへ進もうとする時に視界が広くなるんだと思う。
自分で納得がいかない選択をしていると、気が付かない間に「縛られている価値観」や「縛られている視界」が生まれる。
狭い価値観や視界の中では「自分が本当にやりたい事」がなかなか見つからないんです。
それが「自分だけの決断」によって少し解放されるような気持ちになる。
もし今、何かに縛られているような感じがしていたり、窮屈な想いを抱えているのなら、決断を迫られているのかもしれない。
今回伝えたいのは自分が本当にやりたい事を見つけるヒントです。
断言します。
自分が経験した事しか伝えられません。
誰もがそうなんです。
やりたい事がわからなくても決断はしなきゃ。
世の中には自分がやりたい事がわからない人がたくさんいます。
私だってよくわかっていない。
子供の頃から「やりたい事」が見えていて、それに向かって一直線に突き進み、結果を出しているスポーツ選手や役者や科学者もたくさんいる。
でも圧倒的に多いのはやりたい事がわからない方なんです。
子供の頃からやりたい事が見えている方が稀なんです。
やりたい事がわからないからなんとなく周りに合わせて答えを探そうとする。
やりたい事がわからないから周りに合わせて進路を選ぶ。
決められた行動範囲と決められた生活環境の中でやりたい事を探しながら周りに合わせて生きていく。
私はずっとそうでした。
子供の頃なんて世界にどれだけの進路があるかわかりません。
なんなら自分の生活環境の中でしかそれを見つけることが出来ません。
家族、先生、友達。
だから少ない選択肢の中からそれを選ぼうとする。
知識も経験もまだまだ未熟だからわからないんです。
それが大人になって、社会に触れて、世界に触れて、様々な選択肢があることを知ります。
「これを子供の頃に知っていたら…。」
なんて考えも生まれます。
若くしてやりたい事に出会える確率がどれだけ低い事か。
だけど見つけた方が人生はお得なような気がするんです。
やりがいや生きがいに繋がると思うんです。
だから私はこれから先も自分が本当にやりたい事が何なのか、探し続けるつもりです。
私が思う自分がやりたい事に出会う為に必要なもの。
その中に「決断」があります。
「これをやるんだ!」って子供みたいな単純な理由でも、一種の決断だと思っている。
私は自分の経験から、子供の頃にもっと「決断力」があったらやりたい事を見つけるスピードが早くなったかもしれないと考えている。
その理由は、決断によって「やりたくない選択肢」を消していけるから。
子供の頃は多くの選択肢を誰かから与えられる。
すでに存在する選択肢の中からしか選べないんです。
知識も権力も行動力も無いから。
別に他にも選べるんだけど、やりたい事がわからないからその他の進路を選ぶ発想も生まれない。
だから与えられた選択肢の中で探して手に取ってみる。
繰り返していく内に「自分が本当にやりたい事」というより、与えられた選択肢の中で「得意」を探すようなイメージになる。
子供の頃って自分の才能にも気が付かないもんです。
だから与えられた選択肢の中で分かり易い「運動神経」や「学力」に目が向く。
子供の頃の評価なんてほとんどが運動神経と学力みたいなものです。
だからその中から選択するようになる。
やりたくもないのに。
与えられた選択肢の中にやりたい事がひとつも無かったらどうするんだろう。
やらないを決断する。
それは悪いことだろうか。
やらない選択をすれば「やりたい事を探す時間」を作り出せる。
私は「大学を辞める」って決断をして、その時に自分の人生が改めてスタートしたような感覚になった。
もちろん迷う時間の方が多かった。
これまで与えられていた選択肢が急に無くなるわけだし…。
だから凄く迷った。
凄く迷ったけど、今はそれなりに自分のやりたい事が出来ていると思っている。
それが本当にやりたかった事かどうかは後々わかるんじゃないだろうか。
親にもたくさん迷惑をかけたし、思い通りに物事が進まないから心配もさせたと思う。
でも自分で決断したからこそ頑張れたりするし、視野が広がった。
アンテナを張るようになった。
「こんな選択肢もあるのかぁ」とか「こんな方法もあるのかぁ」とか「こんな仕事もあるのかぁ」とか「こんな価値観もあるのかぁ」って受け入れられるようになった。
きっと私は誰かが与えてくれた選択肢の中から選び続けていたら、否定ばかりの人生になっていたかもしれない。
あの日の決断が私に柔軟性を与えてくれたと思っている。
やりたい事がわからなくても「決断」はちゃんとしなくちゃ。
「やる!」でも「やらない!」でもちゃんと自分で決断する。
そういった決断の先に自分が本当にやりたい事があるんじゃないだろうか。
それがもっと若い頃に出来ていたらきっとまた違う人生の歩み方をしていたのかもしれない。
良いか悪いかは抜きとして。
自分で選択した道だと、全ての経験が受け入れられるようになる。
自分で選んだ道だから。
決断をするとそこからの吸収する力が大きくなる。
やりたい事なんていくらでも見つかる。
誰もが自分がやりたい事が決まらなかったり、やりたい事が何なのかわからない時、何に対してもやる気が無くなったりする。
それは何に対して頑張ればいいのかわからない状態だから。
私は大人にならなければ知り得なかった選択肢がたくさんある。
誰かに用意された選択肢を選び続けていたら見つからなかった「やりたい事」がたくさんあった。
その中から我武者羅に「好きそうなもの」や「やってみたい事」を選んでやってみた。
その中で「やっぱり違うから辞めよう」とか「もっとこうしてみよう」と決断していく内に、自分がやりたい事が集まってきたような感じがします。
もし、誰かが用意してくれた選択肢の中で「これをやってみよう」と思えるものがあったら、きっとやっていたんだと思う。
それはそれで「これだ!」って決断したんだと思う。
私の場合はそれが無かった。
ほんの些細な興味だとしても、それをとにかく経験してみる。
経験してみて、「違うな…」とか「もう少しやってみたい」って素直な気持ちに従って決断を続けてきた。
「ちょっとした興味で始めた何か」が気が付けば「自分がやりたい事」になっていたりする人はたくさんいる。
「きっかけは誰かが紹介してくれた」や「なんとなく身近にあったから」といったパターンだってある。
自分にとって本当にやりたい事ってのは無数に転がっているのに、それを捉えるアンテナを持っていないと出会えない数多くの選択肢がある。
アンテナってのは自分の行動や考え方です。
お腹が空いていれば何かしら食べ物を探すような感じで、「本当にやりたい事」も自分が感覚的に欲していなければ見つけることが出来ない。
学生の頃は自分の進路を先生が用意してくれたりする。
だから感覚的に「広げられたいくつかの選択肢から選ぶものだ」と思っていた。
実は先生が知っている進路って「学校としての進路」しかないんです。
先生だって「この世の全て」を知っているわけではない。
だから自分が本当に興味が持てる何かに出会えない可能性は普通にあるんです。
だから私は結局自分で探す道を歩むことになる。
逆に先生が教えてくれた進路に興味を持って、進んでいる内に更に細かい「やりたい事」が出てきて、気が付けば研究者になったりする人だっている。
誰かが広げてくれたいくつかの選択肢を選んだって「自分が本当にやりたい事」は見つかる。
でも親が知らない進路や先生や友達が知らない進路だってある。
誰にも用意出来ない進路なんだとしたら自分で探すしかない。
インターネットを使ったり、図書館を使ったり、街に繰り出してみたり、人との繋がりを辿ってみたり。
「ただ知らないだけ」なのに、気が付けば「この世にやりたい事が一つもない」って感情になったりすることがある。
でもそれは違う。
知らないだけなんです。
誰も教えてくれないんじゃない。
親も先生も友達も知らない進路なだけなんです。
本当にやりたい事はきっとある。
誰も知らないんだから自分で探さないといけない。
自分で見つけないといけない。
勝手に用意された選択肢の中からどれか一つを「選びなさい」って言われているような気がするかもしれないけど、そうじゃない。
「今出せるのはこれだけなんだけど、この中から選んでも良いよ?」って話なんです。
「この中から選んでもらえればある程度サポート出来るよ?」って話なんです。
誰だってこれまでの自分の経験や進路しか説明出来ない。
「この中にはひとつも無い!」って思ったら決断が必要になる。
選ばない決断。
でもその先は自分にしかわからない。
私の知り合いの中には差し出された選択肢から選んで、なんとなく歩んでいる中で、本当にやりたい事を見つけた人がたくさんいる。
どの道を進んだって「私はこれがやりたい!」って決断をする時が来る。
結局、自分が選んだ道だろうが、誰かが教えてくれた道だろうが、それを進むのは自分なんです。
だから自分で選ぶべき。
やりたい事は絶対に見つかる。
自分で決断した道を覚悟して歩めば必ず見つかるものだと私は信じています。
どうか感想をください。