誰もが幸せを求めて毎日を生きている。
それなのに今まで積み上げてきたものや、期待してきた結果が音を立てて崩れ落ちる瞬間に出会った。
まさに絶望。
今を一生懸命生きているはずなのに、突然絶望が襲いかかって来る。
味わいたくもない絶望をこれでもかと言わんばかりに口一杯に詰め込まれるのです。
もうお腹いっぱいだ。
今回は私が感じた絶望と、そこから始まる苦悩の日々と、輝く希望を伝えたい。
順風満帆だと思ってた。
学生の頃に勉強はほとんどしなかったけど、進学に困った事はなかった。
恋も人並みに失敗したり、成功したり。
大学にも進学したけど、音楽がやりたくて中退。
よく考えたら中退する必要はなかったかもしれない。
単位を取りながらでも音楽活動は出来たはず。
それなのにアルバイトをしながらの音楽活動を選んだ。
あまり器用なタイプではないから、様々な事を同時に進められなかったんだと思っている。
音楽活動をしているとは言っても、社会的にはフリーター。
その価値観もちゃんと分かった上で選んだ。
夢がある方がキラキラしている未来が待ってると信じてた。
やりたい事がわからないまま大学に行っているよりは何故か心は満足していて、社会的に見ればフリーターで「なに夢見てんだよ」って立場でも、逆に燃えていた。
「メジャーデビューを目指して頑張るぞ!」
中身は音楽の時間よりアルバイトの時間の方が多いのに、どうしてか、他のフリーターよりも夢がある自分の方が優秀だと思っていた。
ライブ活動を通して、いろんな人に応援されて、それに応える形で音楽を作って演奏したりグッズやCDを販売する。
バンドメンバーが全員食べていけるほどの稼ぎにはならなかったけど、「いつか必ず」っていう根拠のない自信を持っていた。
自分の中では、まさに、これが順風満帆でした。
まだ20歳くらいだし、人生はチャレンジするべきにあると偉そうに思っていた。
両親も元気だったし、音楽活動に対して反対されもしなかった。
気が付けばやりたいことを堂々とやるのが人としての大正解だと思っていた。
絶望の片鱗が見えた。
メジャーデビューを目指して、頑張っているつもりになっていた20代も大きな進展は無く、年越しを迎える度に不安は大きくなる。
約6年、音楽活動だけをやっているように思えていたけど、中身はアルバイトや仲間と遊ぶ時間ばかりだった。
そんな中、親が体調を崩す。
2人に1人が癌になる世の中と言われているくらいだから、別に驚くほどの事じゃないのかもしれない。
学を積んでいない私はすぐに「癌=死」をイメージして、改めて今の自分の現状を見つめ直した。
彼女もいたし、両親も友人も含めてメジャーデビューをすれば、みんなが喜んでくれると思って続けていた。
さっき伝えた通り、その活動の中身はほぼ「甘え」で作られているペラペラな夢だった。
親の健康、彼女の存在。
何も守れない。
遅いのか早いのかわからないけど、自分の中身がただの「甘ちゃん」だと気付いた時、私は27歳だった。
大した学も無く、やってきた事は音楽活動とアルバイト。
「就職なんかしねーよ!」と威張って生きてきた私は、「就職なんかできねーよ!」と嘆く毎日になっていた。
求人誌や求人サイトを隈なく見渡して、「やり甲斐がありそうな仕事」の面接などを片っ端から受けたけど全滅。
親の健康や彼女の存在が焦りに変わり、元々ペラペラだったプライドを捨てる。
いつも外で真夏でも真冬でも立っている姿を見て、「この仕事はやりたくねーな」と思っていた警備員の職に就いた。
年配の方が多い仕事で、職場に集まる度に「にーちゃんはなんでこんな仕事選んだの?」って聞かれてた。
手取りで16万くらいだったろうか。
親の健康も守れない、彼女を幸せにする事も出来ないまま。
仕事も選べない。
音楽活動をしている時に、仲間内で話していた「絶対にこうはなりたくない未来」に辿り着いた。
絶望は「絶対になりたくない未来」に近付いた時に実感するものでした。
警備員も、警備する場所が無ければ強制的に休みになる。
天候や提携先の動き方で急遽仕事が無くなったりする。
日雇いの仕事にも登録して、その場凌ぎのお金を手にするような毎日が同時進行していた。
完全歩合制の営業もやった。
どれもこれも決して興味があるものではなかったけど、それをやらなければお金を稼げない。
あれこれやりながらなんとか「一人前」になる方法を探した。
「一人前」とは、親が心配しない稼ぎがある事で、結婚しても生活が成り立つ稼ぎがある事だと私は思っている。
仕事を掛け持ちしても、「一人前」には近づけなくて、自分の時間をフルに使っても稼げる金額は常に想像出来る範囲だった。
前に進んでいると言うより、現状維持に必死。
音楽活動みたいに自分がやりたい事でもなく、未来がキラキラしているわけでもない。
気が付いたらお金の事ばかり考えて、毎日胃が痛くなるような生活になっていた。
この時の年齢は29歳。
ほとんどの同級生が「一人前」になっていた。
どんなに焦ってもそれになれない自分が、これまでどれだけ甘えて、どれだけ逃げてきたのか実感する。
ちっとも楽しくない、辛いだけの未来しか想像出来なくなった時、「絶望ってのはこういう時に感じるのかも」と思った。
親の健康や彼女の存在が状況を変えるきっかけではあったけど、音楽を辞めても頑張ればなんとかなると思って色々と挑戦してみる。
その日々に絶望は感じなかった。
それでも頑張ればなんとかなると思っていたし、色々やれば得意な事や稼ぐ方法も分かると思っていた。
それが現状維持だけの毎日になって、それを頑張った後の未来を想像した時に、結局親の健康も彼女も守れないどころか、自分一人の生活もままならないと思った時、生まれて初めて自分の未来に絶望を見た。
それでも続けないと生活出来ない。
前に進む方法がわからなくなった。
後悔と人間関係と希望。
ほとんどの同級生が「一人前」になっている中で、さらに「超一人前」な友人もいた。
自分で会社を興したり、医者や弁護士になったり。
噂程度に当時の友達から聞く「私にとっては次元が違う今を生きている同級生」の話。
劣等感しかなかった。
音楽活動をやっている時は空っぽの自信を持っていたけど、本当に空っぽだったと実感する毎日。
大学を中退した事や、これまで一生懸命やれなかった事や、途中で投げ出した全てのチャレンジに後悔した。
そのまま30歳に突入。
私はまだ「一人前」になれない。
生きる事を諦めたりはしなかったけど、それは頑張って生きてくれている両親や、それでも信じてくれる彼女のおかげだったのかもしれない。
数年続く現状維持の毎日。
不思議と感謝ばかりになってくる。
「誰かの為に」生きていないと頑張れないくらいに弱ってたのかもしれない。
私はすでに自分の力では生きていけないんです。
そんな中「超一人前」の同級生から連絡が来た。
「人手が足りないから手伝ってくれないか?」
常にお金に困っていた私はすぐに給料の質問をした。
ひと月で20万だった。
「超一人前」の同級生から「少なくて申し訳ないけど、未経験だから新入社員と同じ条件で頼む。」と言われたけど、今の給料より多かった。
学がある人の初任給はどのくらいなのだろうか?
もし大学を卒業したら20万は最低ラインなのだろうか。
中退した私には何の知識も経験もないからわからないんです。
未だにわかりません。
わからないけど、現状しか知らない私は二つ返事で了承。
他の未経験の新入社員数人と「超一人前」の同級生の会社で働くことになった。
音楽活動を辞めてからは一度も自分を褒めたり出来なかったけど、「人付き合いだけは頑張ってきたのかもしれないな」と少しだけ誇らしかった。
ただ、やるだけ。
未経験だから失敗や質問を繰り返す私。
プライドも学もない私は「そうしないとやっていけない」と感じていました。
他の新入社員はあまり質問はなく、失敗も無さそうに見えた。
だけど一緒に休憩していると、「仕事だりー」とか「もっといい仕事ないかなー」とか「辞めてーなー」とか「結構きついよなー」と言ってた。
私にとってはダルくないし、お金を貰えるだけで良い仕事だし、絶対辞めたくないし、前の仕事よりキツくない。
ただやるだけなのに、それでお金を受け取っているのに、どうして文句が出てくるのか。
どんなに考えても文句が出てこない私が異常なのかもしれないけど、新しい事を教えてもらえる環境は有り難かったし、教わりながら仕事も与えてくれるなんて願ったり叶ったりだった。
警備員の時なんて雇われ主から「おい!そこのやつここに立ってろ!」とか言われたけど、その時はさすがに「名前くらい呼べよ」と思ったし「仕事の指示くらい出せよ」と言い返したかった。
その時期と比べたら、「仲間」として扱われてるだけで幸せだと思えた。
それから1年間、ほぼ休みなく働いた。
2年くらい経って、多くの仕事が出来るようになって、給料も一人前になった。
あの時の新入社員は辞めた人もいれば続けている人もいた。
自分で考えた「一人前」になれた私は、彼女にプロポーズした。
親もとりあえずの健康を取り戻した。
癌は手術で取れたとしても、しばらく治療が続くんです。
目の前にあった大量の不安は、本当にゆっくりだけど、絶望を感じたあの日から徐々に減ってきている。
お金のストレスは絶望的に大きかった。
でもお金が持つ有り難みは計り知れない。
その会社では多くの事を教えてもらって、自分でも勉強して、改めて自分が「やりたい事」を求めるようになった。
35歳。
100%「超一人前」の友人のおかげだけど、わがままな事に、「やってみたい仕事」が見つかった。
会社の中では様々な仕事を教える立場になり、誰かの管理をする機会が多くなった。
給料も多くなったけど、音楽活動をしていた時ほど未来にワクワクしなかった。
貯金もそこそこ出来た。
生活を維持する事に必死だったから使い方が分からず、勝手に溜まっていったのかもしれない。
WEB全般を扱う会社だったから、何かを作り出したりするよりも管理する側の仕事が多かった。
何の知識もなかったけど、全般的な知識を浅く広く知れた事で、自分にとって何が楽しいのかを見つけやすかったのかもしれない。
その仕事で得た経験や知識を自分なりに活かして新たな仕事がしたいと思ったんです。
幸運な事に、こうして「一人前」になれたり、仕事を通して改めてやりたい事が見つけられたのは、音楽を辞めてから生活を維持する為にお金を稼ぐ大変さを知って、続ける事の難しさを知って、努力すべき場所を知れたからだと思う。
頭の中はシンプルに、ただ、やるだけ。
与えられた事だろうが自分で目指した何かだろうが、ただ、やるだけ。
ペラペラなプライドとか、空っぽの自信があると、それが出来ないんだと思った。
シンプルになれないから。
希望は与えられるものではない。自分でしか探せない。
やりたい仕事を見つけた私は、会社を辞める事にした。
結婚もして、子供もいる。
でも仕事を辞めた。
あの日感じた絶望からシンプルに「ただやるだけ」を貫いてきて、給料もそこそこ。
でもリセットボタンを押した。
妻は少しも反対しなかった。
ある程度貯金があったからなんとかやっていけると思ったのかもしれない。
でもそれは甘い考えなのかもしれない。
元々そういう性格なんだと思います。
なぜか人と違う事をしたくなると言うか、自分が最も満足する結果にフォーカスしちゃうのです。
もちろん給料は激減。
絶望を感じたあの頃より少ないかも。
貯金が尽きるのが先か、好きな事でお金を稼ぐのが先か。
でも、今感じているのはいつかの絶望なんかじゃない。
希望です。
あの日、絶望を感じたからシンプルになれた。
目標へ向かってひたすら真っ直ぐに進む方法を知った。
世の中は思ったより単純なのかもしれない。
学生の頃、誰よりも良い成績を残したいなら誰よりも勉強すれば良かったんです。
サッカー選手になりたければ誰よりもサッカーを練習すれば良かったんです。
お金持ちになりたいなら、たくさんお金を稼げば良いんです。
社会は私みたいな中途半端な人は認めてくれないかもしれないけど、幸せになりたいなら、自分が幸せだと思う事を一生懸命やれば良い。
社会は複雑だけど、私がやる事なんていつもシンプルで良かったんです。
20代は何にでもなれるって思ってたけど、今は等身大の自分にしかなれないんだな…と思っている。
もしかしたら、私の人生は、あの日、絶望を感じた時から始まったのかもしれない。
ドラクエで例えるなら、なんとなく物語は始まっているけど、絶望を感じたあの瞬間にオープニング曲が流れ、冒険がスタートするような感じ。
私の人生のオープニングは、間違いなく、あの日の絶望でした。
希望は絶望の先に必ずあると今でも信じています。
絶望は私にとって人生の門出だった。
どうか感想をください。