引きこもりに定義なんていらないよ

生活

私の兄は学生の頃、自分の部屋に引きこもり、学校にも行かず、外出もせず、ご飯時にも部屋から出てこないで、誰もいない時にこっそりお風呂に入ったりしていた。

食事は親が部屋の前に置いていました。

今は結婚して、仕事して、子供がいて、幸せな生活をしているように見えます。

男兄弟なので、「実際のところどうなん?」って確認はしません。

そんなこと恥ずかしくて出来ません。

親にとっては孫がいるので、年末くらいはみんなで集まります。

私には私の家族があって、兄には兄の家族がある。

同じ屋根の下で育ったけど、結局今になって思うのは、「あの時の引きこもりって何だったんだろう」です。

家が無いと引きこもりも出来ないのに、今となっては別々の家族を持って生活している。

引きこもりになっても、ならなくても、今はどっちでも良くなっている。

私にとってはどっちでも「お兄ちゃん」なんです。

引きこもっても、引きこもらなくても、お兄ちゃん。

あの時、親が何を思って、何を願っていたのか、今となっては久しぶりに集まる実家で笑い話のように展開されているけど、今も「引きこもり」で真剣に悩んでいる家族がいます。

家族以外の人が何を言っても響かないと思いますが、経験話として残しておきたいと思います。

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壁にぶち当たり、乗り越え方がわからない。

私の兄は家庭の引っ越しに伴い、何度か学校を転校している。

もちろん私も同じように転校している。

ただ、私には特技があった。

サッカーに熱中していたし、得意な方だった。

だからどこに行ってもメジャーだったサッカーを通じて、「こいつと友達になろう」と認識してもらうまでそう時間はかからなかった。

でも、兄は違った。

そういった特技が無かったのもあるし、これと言って突出している部分も無かった。

一緒に生活していた兄弟なんだから良くわかるんです。

メジャーなスポーツをやるようなタイプではなかった。

だから認めてもらうまでに時間がかかるんです。

正直それだけの差でした。

メジャーなスポーツが得意か、マイナーなスポーツが得意か。

それだけで初めて会う友達の印象は大きく変わる。

まだまだ人間関係を深く理解をしていない子供が相手なんだから当然。

私は運が良かっただけだと今でも思っている。

だから兄は苦しんだ。

なかなか友達が出来ない状況の中で、自分を認めてもらうツールも無い。

シンプルに「人気か人気じゃないか」、「イケてるかイケてないか」で判断する子供だから、人気が無い人の相手はしないし、イケてない人の相手もしない。

そんな空間に「義務教育は行くのが当たり前」って理由だけで突っ込まれ続ければ「行きたくない」とも言えなくなる。

引っ越す前は普通に出来ていたことが出来ないんだから、辛いに決まってるんです。

だからしばらくして引きこもることになる。

それから1年間以上、兄の部屋は開かずの扉で塞がれた。

無理矢理話し合おうとしても暴力に逃げる。

自殺未遂に親を罵倒したり、暴れる。

思春期の男子だからそれなりにパワーもある。

手が付けられない状態が続く。

家の中はいつも殺伐とした雰囲気だった。

たぶん本人は人生で経験したことの無い壁にぶち当たって、それを乗り越える術を持っていない状況だっただけ。

それを認めて、乗り越えるだけの考えを持つまでに時間がかかった。

その間に「引きこもり」と呼ばれる状態になったけど、実際は毎日戦っていたんだと思う。

「引きこもり」っていう響きは本当に良くない。

ただ暗い印象を与えるだけだと思う。

「引きこもり」なんて言われたらまるで「失敗」と捉えられても仕方がない響き。

そんなことはない。

本人は絶対に毎日戦っているはずなんです。

「部屋に閉じこもってるだけで人が満足出来る」はずがない。

何がしたいのかわからない。

実際に乗り越えられない壁にぶち当たっても、それをどうすれば良いのかわからない。

当時の兄はまだまだ義務教育を終えたばかりの年齢です。

「学校」っていう小さなコミニティの中だけの価値観しか持ち合わせていない。

それなのに、乗り越え方がわからない壁にぶち当たってる。

本人も「何がしたいのかわからない」のは当然なんです。

そもそも義務教育の中だけでの選択肢しか持ち合わせていないのに、それも通用しない状態になれば何がしたいのかわからなくて当然です。

それが出来ている周りの環境を見て、反発するのも当然です。

だって誰でも普通に出来る義務教育の中で何をすれば良いのかわからないんですから。

でも「反発する」っていうのは結局自分で何とかしなくちゃいけないのがわかっているからだと思うんです。

少ない選択肢の中から、自分が出来ることを必死に見つけようとしているんです。

好きで引きこもってる人がいるわけがない。

「引きこもる選択肢しか無かった」だけだと私は思っている。

自分が望むものを選びたい。

これまで誰かに与えられ続けるのが義務教育であり、家庭の中の教育です。

先生が知っていること、友達が知っていること、親が知っていること。

それしか選択肢がありません。

でもその中に自分がやりたいことが無かったらどうする。

それを選んで壁にぶち当たってるんだから与えられた選択肢の中から選んでも乗り越えられないと思うのが当たり前。

自分で歩く道は決めて、自分が望む選択をするべきなんです。

散々引きこもりながら、模索するんです。

自分が望むものを手に入れる為には今どうするべきかを。

「引きこもり」が正解じゃないのは百も承知。

苦しい自問自答の中で自分という存在意義を一生懸命探しているんです。

兄はひとつ選択をしました。

その時開かずの扉が開きました。

家を出て、大学に行くこと。

たったそれだけの決断に1年以上かけたんです。

同級生と歳は違うけど、それでも「自分で選んだ選択肢」だから、体と精神を動かすのは簡単だったんじゃないかと思います。

たったそれだけで、重くて誰も開けられなかった扉を自分で開けたんです。

一緒にいる家族は難しく考え過ぎて、「あれもこれもやったけどダメだった」って思うかもしれない。

次に何が出来るか考えて、悩んで、不安な毎日を送っているかもしれない。

でも、開かずの扉は中にいる本人が開けるとめちゃくちゃ軽いんです。

簡単に開きます。

これは考え方。

親が「普通に戻って欲しい」って考えている内は難しいかもしれない。

だって本人にとっての普通は「取り戻す」って考え方じゃない。

「新しくて、自分らしい決断」なんですから。

引きこもってる本人が一番前向きなのかもしれない。

引きこもりの何が悪いのかわからない。

世間的に引きこもりが問題になればなるほど、まるで「病気」のような扱われ方をします。

最近じゃ中高年の引きこもりが急増しているって言われている。

壁にぶち当たって乗り越え方がわからない人が増えているってことだと思う。

それを模索する為に家にいながら考えているだけです。

「引きこもり問題」なんて言い方をされたら家で考える時間すら作れなくなる。

真っ直ぐに自分の目の前にある問題に向かいたいのに「引きこもりと言われる」って意味がわからない問題も背負う事になる。

引きこもりを問題視する事で本人達はもっと重い気持ちになるんじゃないだろうか。

実際に私の兄は部屋にこもって自問自答を繰り返しただけだと思う。

そして自分なりの答えを出した。

もちろん家族は決断までの時間に起きたトラブルに対応したし、命に関わるような危険は全力で止めた。

でもそれって、家族として引きこもっていようがいまいが当たり前のことだと思っています。

自分の家族がピンチなんだから守ろうとするし協力しようとするのは当たり前。

そこに「引きこもり」はそもそも関係ない。

むしろ義務教育の在り方として、「必ず学校に行かなくてはいけない」って風潮が変。

それが合わない子はどうしたいい?

引きこもる以外に方法はあるのか?

全ての子供が義務教育に対応出来ると思っている世の中の在り方が間違っている。

学校に行くのが牢獄に入るかのような恐怖を感じているのにそれに無理矢理行き続けたらそりゃ精神も崩壊するだろうに。

家族にも問題がある。

そういった子供の声を聞いて「それでも行きなさい」って言うのも変。

子供が発するSOSを「自分の経験にすり替えて」無視してはいけない。

子供の性格は持って生まれたものが5割で環境と友達が5割です。

そこに親の経験なんてそもそも入ってないんだから。

そんな親に引きこもりの何が悪いのか説明させても、最後に出て来る言い訳は「世間体」に決まってる。

普通か普通じゃないの判断を「引きこもりするかしないか」に委ねてはいけない。

私には引きこもりの何がいけないのかわからない。

問題は絶対に他にもあるはず。

引きこもりの定義なんていらないよ。

この間、ワイドショーの時間に、「引きこもり」が問題になっている事実を取材していた。

MCが「引きこもりの定義ってあるんですか?」っていう質問をすると、専門家が色々言ってた。

引きこもりの経験があって、そこから立ち直り、引きこもりの研究と社会復帰を考える団体の人もコメンテーターとして参加していた。

「引きこもりに対して何が有効か」とか「家族や身近な人の対応」とか、様々な考え方を議論していた。

これって、そもそも「引きこもりの定義」があるからこそ議論が可能な題材なような気がするんです。

引きこもりに定義なんていらない。

みんながみんな自分の人生と戦っているんです。

「引きこもり」って枠を作ってその中に含まれる人を救済するような団体の存在が引きこもりの問題を大きくする。

表に出てきて大々的に「引きこもりを救おう!」なんてやらない方が良い。

その存在によって救われる人はいるかもしれないけど、テレビに出て大々的にやるからそこに相談することで「引きこもりが決定する」と考える人だっているんです。

本人は誰よりも「幸せになりたい!」って思っているだけ。

でもどうして良いのかわからなくて自分と対話しているだけ。

自分と対話するのにわざわざ外に出るかい?

自分の問題だと意識している状態で誰かに助けを求めるかい?

その団体に助けを求めるのは本人ではなく、周囲にいる人だと思わないか?

引きこもりよりもやばい状態の人って引きこもる事もしないと思うんです。

犯罪者は街中に解き放たれている。

そっちの方がよっぽど問題にするべきだと私は思う。

引きこもりを家の外に出すことを優先するよりも、外をより安全で健全な場所にするように努力するべきだと思う。

外には暴力的な奴がいる。

外にはネガティブを蒔き散らす奴がいる。

引きこもりが問題なわけじゃない。

引きこもりが増えたっていう事実の前に、家の外で自分と向き合える場所や時間を作れないのが問題なんだと私は思っている。

自分の中で問題が起きてるのに無理矢理外に出ようとしても解決しないだろうに。

あれは引きこもってるんじゃなくて、一人になれる空間で自分と戦ってるだけ。

引きこもりの定義なんていらない。

生きてれば誰だって自問自答を繰り返すんだから。

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過小評価され過ぎアーティスト

過小評価され過ぎなアーティスト、「楽屋シンジ」さん。

この方、作ってる音楽は素敵なのに評価が低い。

むしろ誰にも評価されてない。

あまりにも残念なので応援したい。

ポップな音楽だから多くの人にそれなりの評価を貰えそうなのに圧倒的に露出が少ない。

なのでこのブログを通してお勧めしたい。

もったいないなぁとつくづく思う。

「楽屋シンジ」さんのYouTubeチャンネルを貼っておきますのでとにかく一回聴いてチャンネル登録してあげましょう!

みんなで!

あれんじ

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